3年目の挑戦を語る前に、私の3年に渡る宅建受験環境について軽く触れたいと思います。
私は、スクールに通わず、市販の基本書、問題集を使って、独学で立ち向かった身です。
3年通して、宅建をともに目指す受験仲間は存在しませんでした。
私が宅建受験を志していることを知っているのは、家族と、一部の友人、同僚のみ。
SNSやBBS、メル友含めてオンラインの世界でも誰一人として宅建の情報交換を行える人間はいませんでした。
井の中の蛙ではありませんが、2年目までの勉強法については、経験と工夫で編み出す他なく、偏ったとても狭い世界で試行錯誤していました。
模試なども一切受けていないので、本試験の結果を受けて、初めて自分の1年の出来を知った具合です。
精神的に完全に孤独な挑戦ではありました。
なぜ宅建仲間を見つけなかったの?
このような疑問を持った方もいらっしゃるかもしれませんが、これを一口に説明するのは難しいかもしれません。
私の場合は、宅建を、就職や転職目的で、必要に駆られてすぐにでも取らなければならない状況下ではありませんでした。
生涯学習的な感覚でスタートしていたからこそ、マイペースで貫き通したかったからかもしれません。
いや、これを打っていて気付きましたが、私は大学受験を逃避した後のツケを、宅建試験に合格することで清算したかったことが、一人で臨んだ一番の動機なのかもしれません。
今思えば、宅建仲間が一人でもいれば、3年もかからずに短期合格を果たせていたかもしれませんし、切磋琢磨することで、勉強のモチベーションも維持できていたかもしれません。
実際に、後の行政書士試験対策で資格学校に通っていた私は、スクールというもののメリット、恩恵も後になって知りました。
ただ、当時の私は、結果として3年という時間を使ってしまいましたが、自分が決めたことを最後までやり通すため、つまり初志貫徹のためにも、一人での挑戦を選ぶ他ありませんでした。
そこから何かが変われる気がしたのです。
よく、
「宅建合格して自分を変えたい」
という受験動機を受験生のみな様から聴かせていただきますが、私自身も宅建に合格して、勉強から逃げてきた過去から卒業して未来に進みたかったのです。
2年目の宅建受験に敗れたことで、初めて信頼している同僚や友人に、受験で敗れた心境、あと3点で落ちた悔しさを吐露しました。
それまで決して受験について話すことはありませんでしたが、気が付けば堰を切ったように、話していたのです。
不合格という結果を明るみにできるほど気持ちの整理はついていませんでしたが、だからこそ気を許した人間に打ち明けた後に気持ちが楽になったのです。
2年目の挑戦の後に、他者に受験事情を伝えたことで、
もはや受験は自分だけの問題でない。
応援してくれている人間のためにも、次で終わりにしたい。
このような新しい感情が芽生えたのです。
そして、3年目の幕開けが始まりました。